箕面ハイキング🚶♂️🚶♀️🚶
箕面の滝と地獄谷を越え、勝尾寺へ ― 緑に抱かれた祈りの道
一 阪急箕面駅から始まる旅路
8月23日朝、私たちは阪急箕面駅に集合し、夏の光に包まれた山の入口に立ちました。
駅前の賑わいを離れ、滝道へと足を踏み入れると、両側から伸びる緑の木々がトンネルを作り、心地よい影を落としていました。
右手には清流が流れ、岩肌に水がはじける音が響きます。
その川には「天然記念物・オオサンショウウオが棲む」と友人から聞かされており、身近にある自然の奥深さを感じさせてくれました。
箕面の滝までは穏やかな舗装路が続きますが、せっかくのハイキングですので、私たちは、途中から、あえて「地獄谷」と呼ばれる険しい山道に挑むことにしました。
二 地獄谷 ― 岩と苔に試される道
地獄谷はその名の通り、険しく厳しい道でした。大きな岩が行く手を遮り、時には両手を使ってよじ登らなければならない場面もありました。
湿った地面は滑りやすく、足を取られます。それでも、澄んだ空気が肺の奥に届き、普段の生活では味わえない清々しさを感じることができました。
途中で「ライオン岩」と呼ばれる巨岩に出会いました。その姿はまさに獅子が吠えているようで、自然の造形の力強さに圧倒されました。
地獄谷の道のりは体力を試されますが、その厳しさがかえって自分を奮い立たせ、前へと進む力を与えてくれるのだと感じました。
三 箕面の滝 ― 涼やかな一瞬の永遠
険しい山道を抜けると、やがて「箕面の滝」が目の前に現れました。高さ33メートルから流れ落ちる滝は白銀の帯のように輝き、轟音を響かせながら水しぶきを上げています。
滝の近くに立つと、飛沫が顔にかかり、全身の疲れを洗い流してくれるようでした。
多くの観光客でにぎわっていましたが、不思議と滝の前では心が静まり、自然の力に包まれている感覚を覚えました。私たちはここで記念撮影を行い、笑顔とともに美しい瞬間を残しました。
四 勝尾寺へ ― 勝ちを祈る道
箕面の滝を後にしてさらに登ると、勝尾寺にたどり着きました。
勝尾寺は真言宗の名刹で、平安時代に国家鎮護の寺として信仰を集め、「勝運の寺」として名を広めてきました。
「勝つ」という言葉は、戦いや競争に勝つだけではなく、自分の人生の中で困難を乗り越える力を象徴しています。境内には無数のダルマが並び、人々の願いがそこに込められていました。
私は4人の息子たちの人生にそれぞれの「勝ち」が訪れるよう願いを込めて、4つのダルマをお土産に買いました。
勝尾寺のダルマは、祈りを込めて片目を入れ、願いが叶った時にもう片方の目を入れる習わしがあります。
そのことを知り、勝ちとは他人に打ち勝つことではなく、自分自身を乗り越えることなのだと改めて考えさせられました。
五 歴史と自然に抱かれた感動
今回のハイキングで心に残ったのは、自然と歴史が一体となって語りかけてくる「時間の深さ」でした。
箕面の山々は古くから人々の生活とともにあり、滝は修行僧が心身を清める場でもありました。そして勝尾寺は千年以上にわたり、人々の祈りを受け止め続けています。
地獄谷の険しさは、人生における困難に重なります。汗を流し、息を切らしながらも一歩一歩進む過程にこそ、乗り越える力の尊さがありました。その先に現れた滝と寺は、努力の果てに得られる清らかさと祈りの象徴のように思えました。
六 結びにかえて
この日のハイキングは、ただの山歩きではなく、人生を映すような旅でした。
緑のもみじに迎えられ、地獄谷で試され、滝に癒され、勝尾寺で祈る――そこには、人が自然や歴史とともに歩んできた営みが凝縮されていました。
山を下りながら吸い込んだ新鮮な空気は、今も私の心を澄ませ続けています。
そして勝尾寺で手にしたダルマは、家族の未来を支える象徴として我が家に鎮座しています。
この体験は、歩みを止めなければ誰もがそれぞれの「勝ち」を手にできるのだという確信を与えてくれました。
2025.8.23 弁護士 川原俊明