柳生街道を歩く
〜忍辱山から春日大社へ、歴史と自然に包まれた一日〜
2025年7月20日。私たち13名の同級生は、奈良にある歴史の古道「柳生街道」を歩きました。
真夏のハイキングは、体力面や熱中症のリスクを考えると、やや無謀とも言える挑戦だったかもしれません。ところが山中に入ると、生い茂る木々が強い日差しを遮り、体感気温は市街地よりも5度ほど低く、とても快適に感じられました。まるで自然が歓迎してくれているかのようでした。
この日は、歴史と自然の両方に包まれた、特別な一日となりました。
忍辱山(にんにくせん)から始まる静寂の道
今回のハイキングの出発点は「忍辱山(にんにくせん)」でした。読み方に戸惑う人も多いこの地名ですが、真言宗の由緒ある地で、修行僧たちが心を鍛えた場所として知られています。
出発地点となった「忍辱山(にんにくせん)」という地名には、実に深い仏教的な意味が込められていることを学びました。
「忍辱」とは、仏教における「六波羅蜜(ろくはらみつ)」のひとつで、「怒りや苦しみを耐え忍ぶ徳」のことを意味します。仏道を実践する者にとって避けて通れない修行の道であり、真言宗でも重要な行の一つとされています。
「忍辱」は単に“我慢する”という意味ではありません。理不尽な状況、侮辱や中傷、あるいは耐え難い悲しみや失敗の中で、自らの心を乱さずに保つこと、さらにはそれを受け入れ、乗り越えていくことを意味します。その精神は、現代にも通じる普遍的な教え、ということも、学びました。
私たちは近鉄奈良駅からバスに乗り、忍辱山のバス停で下車。ここから柳生街道を下山方向に向かって歩き始めました。
バスを降りた瞬間から、周囲は静寂に包まれ、日常の喧騒が遠くに感じられました。蝉の声が響く中、木々の間から差し込む陽射しが揺れて、どこか神聖な空気に包まれたような感覚でした。
歴史と剣豪の記憶が息づく柳生街道
柳生街道は、奈良市内と剣術の名門・柳生の里を結んだ道です。江戸時代には、柳生新陰流の祖・柳生宗厳(石舟斎)や、その子で徳川将軍家剣術指南役を務めた宗矩も、この道を何度も往来したといわれています。
今回私たちが歩いたのは、円成寺を通る「滝坂の道」と呼ばれる石畳の道でした。苔むした石段や山道には、かつての旅人たちの足跡がしみ込んでいるようでした。
道中には「首切り地蔵」や「夕陽地蔵」など、風変わりな名前を持つ石仏がいくつも現れます。
「首切り地蔵」は、かつてこの地で罪人の処刑が行われたことに由来するとされますが、同時に、そうした人々の魂を弔うための信仰の対象でもありました。
石仏の前に立ち、手を合わせると、私たちもまた、旅の安全を祈らずにはいられませんでした。
熊に警戒し、自然に感謝する
道中には「熊に注意」と書かれた看板が何度も現れました。
奈良の五條あたりでも熊が出没したという情報があり、私たちは万一に備えて、仲間の一人が鈴を腰につけて音を鳴らしながら進みました。
普段は都会で暮らしていると、熊の存在など遠い世界の話のように感じますが、山に入れば私たちは完全に“自然の中の訪問者”であることを思い知らされます。
木々のざわめき、鳥の声、虫の音、そしてときおり吹き抜ける涼風——すべてが、この山に宿る“気”のように感じられました。
春日大社へ、そして旅の終わり
道の終着点は、奈良を象徴する「春日大社」です。
朱塗りの鳥居と、参道をゆったりと歩く鹿たち。外国人観光客に囲まれながらも、鹿たちは堂々とエサをねだり、時折鳴き声をあげていました。
この日は、春日大社の宝物殿で国宝展も開催されていましたが、私たちは乾いた喉を潤すために近くの居酒屋に立ち寄りました。
ハイキングの疲れを忘れるほど、冷えたビールと仲間たちの笑い声は格別でした。
柳生街道が教えてくれたもの
柳生街道を歩くということは、ただのハイキングではありませんでした。
これは「時間の旅」であり、かつての人々が歩んだ歴史の記憶を身体で感じる“体験”でした。
自然に包まれ、歴史に触れ、仲間と語らう——この一日は、現代社会の中で見落としがちな“人間らしさ”を思い出させてくれる、貴重なひとときでした。
「また来たい」と心から思える、そんな道でした。
2025.7.20 弁護士 川原俊明