雲を払い、歴史を歩く ― 岩清水八幡宮へ。時を越える祈りと、歩くことの力 ―
一月十二日、成人の日。
前日は、まるで自然が試練を課すかのような突風が吹き荒れ、気温もぐっと下がった。
「果たして明日はどうなるのだろうか」
そう思わせるほどの荒天であった。
しかし、自然は時に、驚くほど鮮やかな転調を見せる。
当日の朝、空を見上げた瞬間、思わず息をのんだ。
昨日までの荒れ模様が嘘のように、雲一つない快晴。
突風がすべての雲を吹き払い、真っ青な空だけが広がっていた。
その澄み切った青は、単なる好天というよりも、
「さあ、歩け」と背中を押されているかのような、不思議な力を帯びていた。
こうして私たちは、京都と大阪の境に位置する岩清水八幡宮を目指すハイキングに参加した。
■ 山を登るということ ― 信仰の原点へ
岩清水八幡宮の御社は、男山の山頂に鎮座している。
通常であれば、参拝者の多くはケーブルカーを利用する。
だが、さすがはハイキング仲間。
私たちは迷わず、険しい石段を登る道を選んだ。
一段一段、息を整えながら足を進める。
振り返ると、眼下には淀川の流れと、広がる街並み。
登るにつれ、雑念が削ぎ落とされていく感覚があった。
考えてみれば、険しい道を越えてこそ、神に近づく
これは、古来から変わらぬ信仰の姿なのかもしれない。
楽な道だけが、必ずしも正解ではない。
この石段は、千年以上にわたる人々の祈りと、覚悟の積み重ねそのものなのだ。
■ 岩清水八幡宮のはじまり ― 国家を守る神
岩清水八幡宮は、平安時代初期、貞観元年(859年)に創建された。
宇佐八幡宮(大分)から八幡大神を勧請し、平安京の裏鬼門を守護するため、この男山に祀られた。
八幡神は、もともと武運の神であると同時に、国家鎮護・民衆守護の神として、天皇家や武家から篤く信仰されてきた。
その位置づけは、伊勢神宮に次ぐほどとも言われ、朝廷にとって、岩清水八幡宮はまさに「国家の要」であった。
■ 歴史を動かした人々の信仰
岩清水八幡宮を語るとき、源氏、足利、そして豊臣秀吉の名を欠かすことはできない。
源頼朝は、鎌倉幕府成立に際し、岩清水八幡宮を源氏の氏神として篤く崇敬した。
足利将軍家もまた、幾度となく社殿を修造し、室町幕府の精神的支柱として、この地を重んじた。
そして、戦国の世を終わらせた英雄、豊臣秀吉。
秀吉は、岩清水八幡宮に多大な寄進を行い、現在も残る“黄金の樋(とい)”など、きらびやかな遺構を後世に残した。
戦国という血で血を洗う時代を生き抜いた秀吉でさえ、最後にすがったのは、武神・八幡の加護であった。
その事実は、権力の頂点に立つ者ほど、祈りを必要とするという、人間の本質を静かに物語っている。
■ 国宝としての岩清水八幡宮
現在、岩清水八幡宮の社殿は国宝に指定されている。
八幡造と呼ばれる独特の建築様式は、宗教建築としても極めて貴重な存在だ。
境内には、弓矢を象徴とする装飾や意匠が随所に見られる。
これは、八幡神が単なる武力の神ではなく、
「正義を貫く力」「国を守る覚悟」を象徴する神であることを示している。
静寂の中に立つ社殿は、華美ではないが、圧倒的な重みをもって参拝者を迎えてくれる。
■ エジソンと日本 ― 技術と自然の奇縁
岩清水八幡宮のある男山は、もう一つ、意外な歴史でも知られている。
それが、トーマス・エジソンである。
エジソンが電球を発明する際、フィラメント素材として世界中の竹を試した結果、最も適していたのが、この男山の竹だった。
日本の自然が、近代文明の象徴とも言える「電球」を支えていた。
信仰の山が、同時に科学と技術の発展にも寄与していたという事実は、この地が持つ懐の深さを、雄弁に物語っている。
■ 下山、そして歩くことの意味
参拝を終え、私たちは下山した。
牧野から枚方へと、淀川の河川敷を歩く。
川の流れを横目に、仲間と語らいながら、一歩一歩、前へ進む。
結果、この日の歩数は29,500歩。
数字にすれば多いが、不思議と疲労感は少なかった。
歩くことは、身体を鍛えるだけでなく、心を整える。
歴史に触れ、自然を感じ、自分自身と向き合う時間を与えてくれる。
■ 歩き続けるということ
法律の仕事も、人生も、決して平坦な道ばかりではない。
険しい石段を登るように、
一歩ずつ進むしかない場面もある。
しかし、歩き続けた先には、必ず視界が開ける。
岩清水八幡宮の山頂から見た空の青さは、
そのことを、静かに、しかし力強く教えてくれた。
歴史と祈りに包まれた一日。
そして、歩くことの素晴らしさを改めて実感した一日であった。
2026年1月12日 弁護士 川原俊明



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