自筆証書遺言の落とし穴 —— 「我が子に家を継がせたい」という想いは、本当に実現できるのか ——

「この家だけは、長男に継いでもらいたい。」
「最後まで世話をしてくれた娘に、自宅を残してあげたい。」

親として、そう願うことは、ごく自然な感情です。

人生をかけて築き上げた自宅。
住宅ローンを払い続け、家族を守り、子どもを育ててきた場所。
そこには、単なる“財産”ではなく、家族の歴史や思い出が詰まっています。

だからこそ、多くの方が、自分の意思を残そうとして、自筆証書遺言を書きます。

近年では、自筆証書遺言保管制度も始まり、「自分で遺言を書く」という行為は、以前より身近なものになりました。
書店には遺言の書き方の本が並び、インターネットにも多数の記載例があります。

しかし、実務の現場に立っていると、私は何度も、ある場面に遭遇します。

「先生、父の遺言があるのに、相続登記ができないと言われました。」

遺族は困惑しています。

「なぜですか? 父の意思ははっきりしているのに。」

しかし、法務局は、必ずしも“気持ち”だけでは動いてくれません。
そこに自筆証書遺言の大きな落とし穴があります。

 

「長男に相続させる」だけでは足りないことがある

例えば、次のような遺言があったとします。

「大阪市〇〇町一丁目の土地、および自宅を長男太郎に相続させる。」

一般の感覚では、十分に意味が通じています。
親としての意思も明確です。

 ところが、いざ相続登記をしようとして法務局へ行くと、

「対象不動産が特定できません。」

と言われることがあります。
普通の人からすると、驚くような話です。

「家は一軒しかない。」
「みんな分かっている。」
「本人もそこに住んでいた。」

それでも、登記実務では問題になることがあります。
なぜでしょうか。

法務局は“気持ち”ではなく、“登記できるか”を見ています。
法務局は、裁判所ではありません。
法務局の役割は、登記制度の安全性を維持することです。

つまり、

「誰が見ても、間違いなく、その不動産だと特定できるか」

を重視します。

そのため、不動産については、

所在
地番
家屋番号
地目
地積

などが、登記簿と正確に一致していることが求められます。

例えば、
「〇丁目」と書いているが正式な登記は「一丁目」
「自宅」としか書いていない
土地だけ書いて建物を書いていない
古い住所表示を書いている
マンション名だけで部屋番号がない

このような場合、法務局は慎重になります。
「本当にこの不動産なのか。」
を厳格に確認するのです。

庶民感覚では、
「そんなこと、分かるだろう。」
と思うかもしれません。

しかし、登記制度は、“たぶんこれだろう”では許されません。
もし曖昧な記載でも自由に登記できるようになれば、

「別の土地だった。」
「他にも同じ住所の建物がある。」
「本当は違う財産を指していた。」

 という争いが後から起こる危険があるからです。
つまり、法務局は、“遺言者の気持ち”よりも、“制度の安全性”を優先する立場にあるのです。

自筆証書遺言で最も多い問題は「不動産の特定」
実務上、自筆証書遺言で最も多いトラブルの一つが、不動産の記載ミスです。

 特に高齢者の場合、

 昔の住所表示で記憶している
固定資産税の通知しか見ていない
登記簿を確認していない
土地と建物を別々に考えていない

というケースが非常に多いのです。

 例えば、古い家屋では、
 「住所」と「地番」が全く異なることがあります。

 また、建物には「家屋番号」という別の番号が存在します。
 一般の人は、そんな制度を知りません。

 しかし、登記の世界では、その違いが極めて重要です。

 その結果、
「家を残したい」
 という純粋な想いが、登記できない遺言になってしまうことがあるのです。

 

「法務局がダメでも裁判所なら通る」こともある

 では、法務局に拒否されたら終わりなのでしょうか。

 実は、そうとも限りません。
 ここで登場するのが、“遺言の意思解釈”という考え方です。

 裁判所は、遺言について、

 「遺言者の真意をできる限り実現すべき」

という立場を取っています。
つまり、多少記載が不完全でも、

他に該当する不動産が存在しない
被相続人が実際にその家に住んでいた
家族全員がその家だと認識していた
遺言全体の流れから明らか

という事情があれば、
「この不動産を意味している」
と認定することがあります。

ここに、
法務局=形式重視
裁判所=意思重視
という違いがあります。

もっとも、裁判になれば、
時間
費用
相続人間の対立
という大きな負担が生じます。

 本来、遺言は争いを防ぐために作るものです。
 それが逆に、争いの火種になってしまうことがあるのです。

 

 「簡単に書ける遺言」が危険な理由

 最近では、
「自分で簡単に書ける遺言」
という宣伝をよく見かけます。

 もちろん、自筆証書遺言自体は、有効な制度です。

しかし、問題は、
 “法律的に実現可能な形で書かれているか”
なのです。

 遺言は、単なる作文ではありません。
 実際には、

 相続登記
銀行の払戻し
相続税申告
遺留分問題
不動産売却
相続人間の調整

 など、多くの実務が関係します。

 つまり、
「書けば終わり」

 ではなく、
「実際に使えるか」

 が重要なのです。
ここに、専門家の役割があります。

 

「うちは財産が少ないから大丈夫」が一番危ない

 実は、相続でもっとも揉めやすいのは、“普通の家庭”です。

自宅しかない
預金が少ない
子どもが複数いる
一人が親の面倒を見ていた

こうしたケースは、非常に紛争化しやすいのです。
なぜなら、財産そのものより、“感情”がぶつかるからです。

「兄だけが家をもらうのか。」
「介護したのは私なのに。」
「親は本当にそう考えていたのか。」

こうした感情の対立は、一度始まると簡単には収まりません。
そして、不完全な遺言は、その対立をさらに激化させます。

 

「法的に正しい」だけでは、本当の解決ではない

私は長年、相続案件を扱ってきました。
その中で強く感じるのは、

相続問題は、法律だけでは解決できない

ということです。

相続には、

親子関係
兄弟姉妹の感情
長年の不公平感
介護への思い
家族の歴史

が複雑に絡みます。

だからこそ、遺言は、
単に財産を分ける文書ではなく、

 “家族への最後のメッセージ”

 でもあるのです。

 その意味では、

 「なぜ、その子に家を残したいのか」

という気持ちを書き添えることも、とても大切です。
法的効力だけでなく、家族の納得感を生むからです。

本当に大切なのは、「想いを法律に翻訳すること」
遺言で一番重要なのは、文章の上手さではありません。

本当に重要なのは、
“想いを、法律的に実現できる形に翻訳すること”
です。

登記できるか
銀行が応じるか
税務上問題ないか
遺留分紛争を防げるか
家族関係が壊れないか 

そこまで見据えて初めて、“生きた遺言”になります。

自筆証書遺言は、確かに便利です。
しかし、その便利さの裏には、多くの危険も潜んでいます。

 

 最後に

遺言は、亡くなった後に初めて効力を持ちます。
つまり、本人は、その結果を見ることができません。 

だからこそ、生前にどこまで慎重に準備できるかが重要なのです。

 「このくらいで大丈夫だろう。」

その油断が、後に家族の大きな争いにつながることがあります。
反対に、きちんと準備された遺言は、

 家族を守り
相続手続を円滑にし
親の想いを実現し
子どもたちに安心を残します。 

遺言とは、単なる財産分配の文書ではありません。

それは、人生最後の意思表示であり、
家族への最後の愛情でもあるのです。

 そして、その大切な想いを、確実に未来へ届けるためには、

 “気持ち”だけではなく、“法律”という橋を渡さなければならない――。

 私は、長年の実務を通じて、そのことを強く感じています。

 

2026.5.13  弁護士 川原俊明